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D三:長崎に実際来て会った時に「お互い何を質問しあったりするだろうか?」「実際にどのような形のイベントにするか?」という相談をメールでやりとりしながら決めさせていただきたく、この内容を『D三WAKUSEI』に掲載させていただいてもよろしいでしょうか?できたら当日はその先のことを話せたら良いなと思いまして。

 

モリテツヤ(以下M):『D三WAKUSEI』に是非掲載してください。去年の暮れにひびうたというスペースで本屋部門を担当する方に出会ったり、医者の守本さんという方が運営するだいかい文庫と交流があったり、大介さんからはすみれ舎の活動を知らせてもらえたりで、福祉+本屋みたいな場所が気になっています。
 

本はスピリットが生き延びていく為に必要なものだと思っていますが、それ以前に体がまずは生存していかなくてはと思いながら運営しています。その為に「食える公園」という開かれた農園をつくろうと試みたり、whole crisis catalogという人々による政治を促すような活動をしています。でも、もっと直接的な体と体の接触を通じた交流(それを福祉と呼んでいいのかまだ分かりませんが)にも活動の幅を広げていきたいと思うようになっています。という感じで、次の次の展望くらいに、福祉スペースと農場のある本屋みたいな場所がいつかやれたらいいなと今考えています。
本が人を生かす割合をスピリット7割・体3割とすれば、福祉というのは体7割・スピリット3割みたいなイメージがあります。両方とも、割合の分布は違えど、人を生かす為に必要で、かつ相性がいいと思っています。
みたいなことを最近考えていて、すみれ舎のみなさんとその辺りの話を聞かせてもらい、僕はいつかつくるべき場所の像の参考にしたいと思っています!

D三:「ひびうた」「だいかい文庫」知らなかったので調べてみました。どちらも住む街で何ができるかを実践しているところに共感しました。「だいかい文庫」の守本さんがnoteに以前行った医療教室に一人しか訪れる人がおらず「僕らは、健康の押し売りのようなことをしていたのだ。」というところが、とてもリアルでした。
https://note.com/ymrmn/n/n36f8b0740800

 

「押し売りのようなこと」でも、押し売りではなく、結局はこうした実践が、結果「だいかい文庫」を生み、そして「汽水空港」を経由し「すみれ舎」へ届く(ちなみに僕も友人へ面白そうな場所があると「だいかい文庫」のurlを送りました)例えば音楽でもアルバムなどで「〜は1stが良い」「2ndまでが良い」というような評価をすることがありますが、なぜ「1stが良い」のか?、また(1stを生む前の)「デモが良い」のか?を考えると、「1stアルバム」は1stアルバムが生まれる前の状態が1stを生み、そこへ繋がっていく、デモを作る前の状態が(1st前の)「デモ」を生んだわけで、その後は評価を得るためだったり、これまでとは違う環境を超えることができなければ、超える音楽を生むのではなく、作る感じになってしまって魅力の乏しいものになってしまうのか?と思ったりするのですが、これってその他様々なことにも当てはまるような気がしています。「医療教室」や「だいかい文庫」も、それまでの守谷さんの結果で、守谷さんという人が生んだ。汽水空港も食える公園も同じ。次、何が生まれるのかは、その生まれる前にどのようなことを経験するかによって決まってくるので<福祉スペースと農場のある本屋>も実現しそうな気がします。だけど、もしかしたら「すみれ舎」に来ることで『やっぱりやめよう』と、なる可能性もありますね(笑)。守谷さんや、森さんのやることに興味をもったり支持している人たちは、お二人の世の中に対する態度から生まれるものに魅力を感じていると思うのですが、その人間性や姿勢はどのようにして育まれてきたのかが気になります。人は始まりが最も重要ではないかと感じることが最近多いのですが、幼少期、親御さんはどのような感じで子どもに接する方でしたか?
 

M:文通が始まりましたね!文章ありがとうございます。1stアルバムとそれ以降の考察、面白いですね。「すみれ舎に来ることでやっぱりやめよう」となる可能性、確かにあるかもしれません(笑)。今は「人と人とが生きていく為に何が必要なのか」が気になっていて、関心具合の高いものが「福祉」ということなのかもしれません。これまで、「田畑」や「建築」と自身のセーフティネットを構築しつつ、人以外のものたちとの関係をどう編んでいけるかということが自分の中で最重要で、もちろんこれからも引き続きそれを追求していこうと思っていますが、自身のセーフティネットがある程度構築できて(安い家賃で生活できたり、野菜を買わずに済んだり)きたことで、人と人との関係に関心が向いているんだと思います。そうした中で、だいかい文庫やすみれ舎の存在が視界に入ってきて、ピンときているということだと思います。
 

幼少期について。僕は北九州で生まれ、10歳まで北九州で暮らしていました。気付いた時には父はインドネシアに単身赴任していて、時々帰ってきたり、会いに行ったりする愉快なおっちゃんのような存在でした。母はヨモギを摘んでヨモギ団子をつくったり、趣味で陶芸をしたり、誕生日プレゼントに小さなティピを買ってくれたりと、割となんというか「オーガニック母ちゃん」みたいな感じで、よくキャンプにも行っていました。兄弟は3歳年上の兄が一人居て、兄はキャンプやヨモギ摘みなどには興味がないようで、いつも嫌がっていたような記憶があります。そして父不在のモリ家の中では、兄の権力が常に暴走しており、弟である僕はいつも兄の顔色を伺い、命令に忠実に従う奴隷でした(笑) 命令に背くと鉄拳を食らわされてしまうのでいつもビクビクしていたような気がします。身体能力も頭脳も勝ち目がない、関係性をひっくり返すことのできない兄に対する鬱屈した気持ちが「権力を許さない」という強い決意に結びついたように思います。
 

母は割と放任的で、僕は自由にのびのびと遊び回っていましたが、今にして思えば母一人で兄弟を見ていたことになるので、シンプルに忙しかったんだろうと思います。10歳から12歳まではインドネシアのジャカルタに引っ越し、家族4人の生活がスタートしました。両親からは少しだけ「勉強しろ」と言われていたような気がしますが、基本的には外でただ遊び回るだけの子どもでした。ただ、町へ出れば同い年やそれ以下の子どもが路上で商売をやっている姿を見たりして、そのたくましい姿に憧れると同時に、「貧困」へのうっすらとした恐怖もありました。日本で暮らしていた時は一般家庭の特に金持ちでもなかった自分が、インドネシアでは「お金持ちのお坊ちゃん」になってしまうことへの不思議さや居心地の悪さも同時に感じていました。と、こんな感じで幼少期の思い出をいくらでも書き続けられちゃいそうですが大丈夫ですか?一旦この辺りでお返しします!

D三:幼少期の環境、いえばエリートコースですね(笑)。その後から今へ繋がっていく始まりの感じがします。
お母さんはどのような経緯から「オーガニック母ちゃん」となっていたのか?、また同じような環境で育ったお兄さんは現在どうされているのか?、あとお父さんが好きなこと、そして森さんの祖父母はどのような方で、子供に対してどのように接していたのか、また孫に対してどのように接していたのか、知ってることがあればお願いします。


M:エリートコースだったんでしょうか(笑)。両親は二人共よく本を読んでました。それで特に読書しなさいとは言って来なくて、ただ本を読む姿を見ていました。そんなにもページを夢中で捲るということは、何か相当な楽しさが文字の中に含まれているんだろうなと思いながらそれを眺めていました。

 

母が何故オーガニック母ちゃんのようになったのか、詳しい経緯は分かりません。『沈黙の春』は昔から本棚にあったのを記憶しています。あと、僕が小さい頃、母は肌荒れが酷くて、アロエとか色々な薬草を顔に貼ったり塗ったりしていましたね。兄はそういったオーガニックな感じがことごとく嫌みたいでした。オガハラ(オーガニックハラスメント)とでも感じていたんでしょうね。
 

そんな感じで、例えばご飯が玄米だったり、お風呂に入れるのがバスロマンではなくて何かの果実や葉、謎の温泉の元だったり、ヨガや陶芸をやったりしている母でした。僕はそのどれも特に拒否せず、といって興味を持つでもなく、ただ味わっていましたが、兄は全てが嫌そうでした。ただひとつ、僕も世間が地下鉄サリン事件で騒いでいた時は、ヨガとオウム真理教が似通っている気がして小学生ながら少し怖かったのは覚えています。
 

北九州、インドネシア、千葉と住処が移り変わり、家庭の様子も一般的ではないことが恐らく兄は嫌だったのでしょう。高校卒業後すぐに結婚し、ローンを組んで家を買い、娘には習い事をたくさんさせ、ディズニーランド等にもよく連れて行っているらしいです。仕事はクレーンの運転手をしているそうです。「90年代の一般家庭」の像を忠実になぞっているように僕には見えます。といっても、もう20年以上まともに話しをしていないので、実際のところはよく分かりません。最後に顔を見たのも12、3年前のような気がします。
 

父は学生時代ラグビーをしていました。それで母は父のことを「選手」と呼んでいます。今もラグビーが好きみたいです。ジョギング、スイミング、読書が好きな人だと思います。でもかなり太っています。ビールをかなりよく飲むので。幼い頃、父の務める会社の飲み会で、社長、会長と僕らの家族で会うという謎のイベントがありました。その時、父は飲みすぎて大騒ぎし、最後は会長の足元で眠っていました。あのイベントは一体何だったんだろう、大丈夫だったのかなと今思い出して心配になりました。ずっとインドネシアに単身赴任していて家庭には居なかったので、兄や僕とどのように接すればいいかよく分からなくなっていったんじゃないかなと今思います。兄や僕が中学生頃になるとお互いにあまり会話をするということがなくなりました。
 

母方の祖父母は大阪に暮らしています。銀行に務めていた偉い人だと聞きます。でも祖父母共に「男の子とどう接したらいいかわからない」とのことで、僕が小学生くらいになると気まずそうでした。なのであまり会ったことがありません。
父方の祖父母は広島の田舎に暮らしています。毎年夏休み、冬休みはこのじいちゃんばあちゃんの家で過ごしていました。じいちゃんは孫たちが大好きで、僕も甘えまくりました。ばあちゃんは四国から嫁いできた人で、姑に苛められながらも美容院を立ち上げて、町で一番流行っている美容院を築き上げたことを誇りにしていました。商売人という感じで、僕のことをよく心配していました。「まともに生きなさい」と。去年亡くなりましたが、最後まで「早く仕事をしろ」と僕に言っては漁師がいいかもしれない、木こりがいいかもしれないと色々な仕事を薦めてきました。でもかわいいばあちゃんです。

D三:この流れから汽水空港に到達していく想像ができます。<木こり>や<漁師>と本屋の兼業も良さそうですね。兼業だと一気に魅力が増すのかな...。似た環境で育ったお兄さんとは違っていることについては、とりあえず考えないようにします(笑)。
 

これまで、いろんな人たちと出会って、魅力を感じる人たちは、どのようにして感性が培われきたのか、逆に保守的だったり依存体質の人たちはどうしてそうなっていくのに興味があります。結局多数決で色々と決まってしまうし。今のところ、友人に尋ねたりしていて数少ないデータではありますが子どもへの接し方、過干渉か、否かというところが大きな一つのポイントぽいです。鳥取も長崎と同じように高齢者が多く、若い人たちの多くは高校を卒業すると、進学や就職などで都市へ流出していっているのではないと思うのですが、地方に住んでいる人は、都市へ出ない人や出れない人でもあるわけで、その理由も様々ではあっても、ある程度の傾向もあるんじゃないかなと思うんですが、そういうことって考えてみたりしますか?
 

M:去年から仲間たちと田んぼをやっていて、今年は販売もしてみようと意気込んでいるところです。それぞれ映画館オーナー、現代アーティスト、写真家等と本業があり、僕は本屋なので、基本的に午前中に田んぼ、午後はそれぞれの本業をしようという方向で考えています。そんな働き方なので団体名を「モーニングファーマー」にしました。それぞれの食料を確保しながら、本業を支える収入源にもなればいいなと夢見ています。道のりは険しそうですが。
 

似た環境でも生まれ持った性質がかなりその人の趣味趣向をつくるような気がします。その性質は「農耕民族型」や「狩猟採集民族型」くらいに違い、タイプも様々にあるのではないかという気がします。日本で生まれ、日本で暮らしていたとしても、自分の持って生まれた民族性が現代の日本民族の感覚とうまくフィットしないというようなこともよくあるのではないか。それが生まれ落ちた家庭の感覚と合わないというようなことももちろんありそうだなという気がしています。どのような家庭に生まれても、既にその人はその人として持って生まれた性質がある。家庭の価値観に合わせるよりも、その人自身の魂の声みたいなものがのびのびと発揮されるような環境を整えること、それが過干渉か否かということなのかなと。しかしそれと同時に、人は「一枚のラグ」の上に生まれ落ちるということも考えます。そのラグというのは両親の価値観や土地の価値観、時代の価値観、そのとき主流のシステムをそれぞれ糸として織られたものです。人は生まれてから物心がつくまで、自身が立っているその足元がどのように織られたものなのかを読み込んでいく。それが自覚されない「信仰」や「世界観」として基本的な土台になるのだろうとは思っています。そして今、そのラグに使われている糸はほとんどが近代以降の価値観なので、それを読み込んでいくと自然と「金を稼ぐこと」「勝ち上がること」が生きのびる為に必要なことだとインストールされてしまう。その結果が「お金教」のような人々をたくさん生み出しているんだろうと考えます。
 

汽水空港は車社会の田舎といえど、車を持っていない学生や所持の難しい人にも来てもらいたくて駅から徒歩5分の場所につくりました。ただ、その効果は今のところあまり感じられません。というのも汽車賃が高く、学生が気軽に利用するにはハードルが高くなってしまっているからです。千葉で育った僕は高校生になると電車に乗って遠くの街へ出かけるというのがひとつの喜びになっていたのですが、ここ鳥取では面白い個人経営の店が車でしか行けない場所にあることも多く、知らない駅へ降り立ったとして「そこに何かあるかもしれない」と期待させる雰囲気がありません。時々来てくれる高校生は親同伴で車で来るのですが、もちろんそれは嬉しいですが、「親の知らない世界へ冒険する」ということがやりにくくなっているという印象を受けます。親や学校以外にも広がる怪しい汽水域として学生を誘惑していきたいのですが、なかなか難しいです(笑)。
 

僕が鳥取へ来て11年経ちました。同じ頃、ゲストハウス「たみ」ができました。たみも汽水空港から徒歩5分の位置にあります。当時、出来上がったばかりのたみや、建設途中だった汽水空港の様子を登下校の際に眺めていた中学生や高校生が今大人になっています。半年程前、この町で生まれ育ち、今は県外の大学へ通う大学院生が店を訪れてくれました。その人は今文化人類学を学んでいるそうですが、こんな言葉を言っていました。「私は良い大学へ行くために都市へ出て、都市の中で良い仕事を見つける。そうしなければ幸せになれないのではないかと思って鳥取を出たのですが、今よく分からなくなってきました。そんな時に、自分が育った町で「よく分からない動き」をしている若い移住者がいたなと思い出して。彼らが何を考えて、何を求めているのかが今頃になって気になりはじめました。」そう言って、自身が学んでいる文化人類学と絡めて都市と田舎の生活者を研究していく意向を示していました。
 

同世代の鳥取出身の友人たちも、大抵は一度都市部へ出て戻ってきた人が多い印象です。一度も鳥取を出たことがないという人はやはり上の世代に多く、僕が鳥取でバイトをしてきた建設業の職人たちは大体生まれ育った場所でずっと暮らし続けています。一度、元暴走族たちが立ち上げた解体会社で仕方なく恐怖に震えながら働いた時期がありました。彼らは「大卒者」という肩書に強い意味を感じているように思いました。履歴書を提出した僕の履歴には一応大学が書いてあるのですが、実質何の意味もないと感じている僕のその肩書に実体以上の価値を感じているようでした。周囲に大学卒業者がいない人々の間ではかなり強い意味を持ってしまう履歴なのだと実感しました。世代は大体15歳程上(今は50歳くらいになります)でした。
 

鳥取へ来て11年が経ち、当時20代の若者だった僕は今35歳です。中学生だった人々は20代中盤。時代も移り変わり、相変わらず都市は魅力的ではありますが、2011年頃から地方へ散らばった人々の活動がそれぞれの町で影響を与え始めているような気もします。僕の町には去年ミニシアターが出来ました(オーナーは田んぼ仲間でもあります。)。都市へ出なければ触れられなかった都市的な文化が、土の多い田舎に居ながらにして味わえる。そんな町も今全国各地に出来つつあるような気がします。今都市部へ出た20代半ばの鳥取出身者はこの状況をどう見ているのか。そして今中学生、高校生の鳥取在住者は汽水空港やミニシアターに触れながら育った場合、どのような生き方をしていくのか。自分よりも若い世代の生き方が全く未知で、これからが楽しみです。

D三:田んぼってハードルが相当高そうなイメージがあるのですが、<仲間と>っていうのがが、ハードルを下げそうですね。「本屋から米へ」「映画館から米へ」「写真から米へ」って、それぞれ辿る感じも良いし田んぼの経験もその後、それぞれに活きるだろうし。収穫次第で米の販売までいけそうですね。自身にとって大切なお店に、お金を自然に使える形、本屋だけど、コーヒーが飲めて米が売ってたり、その他生活に必要なものが売ってたり、モノでなくても、なんらか自然にお金を支払うことができる場所があったら良いのだろうなと。例えば檀家とお寺みたいな感じで、檀家さんの為に寺があるみたいな。。
 

お金教...拝金主義みたいなことなんでしょうけど、生活様式が変化し分断化が進んで、都市部で新しくうまれる家庭などは特に「お金」以外に頼れるものがなかったりするのだろうなと。少しでも不安を減少させるために、少しでも給料が高かったり、安定しているところで働けるようにっていう親心が過干渉となれば、主体的に物事を考えて行動する経験が乏しいまま社会へ放り込まれても、そりゃ難しいというか、むちゃくちゃな話しだよなと。雪山に遭難した人が、寒いから衣服を一枚づつ脱いで燃やしていく、最終的に裸になったみたいな話しに近いような。ちょっと違うかな(笑)。
進学や就職で地元を離れた人たちは、その後、戻ってきた人たちを除くと、もうその土地にはおらず、今、その土地に住む人は地元を出なかった人たち、Uターンして戻ってきた人、移住してきた人(こちら仕事の関係などが殆どかと思いますが)基本的には大都市圏以外は、出ていく人の方が圧倒的に多いわけですよね。いえば地方は出ていかなかった人たちや、出ていけなかった人たちが多い。その中で公務員、地元の国立大学へ進学するような人たちのグループ、医療や福祉のグループ、土木・建設業などの第二次産業グループ、農業、漁業など第一次産業グループと、政権与党と関わりの深さそうな団体に所属するグループが多そうですが、政党の支持団体は、自分たちにとって都合の良い制度を作らせよう、維持させようとしたり、お金を引っ張ってこらせようと与野党限らず議員を送り込む。現在の自民党も団体の力が弱まったのか組織票ではどうしようもなくなってきたのか、連立政権としててなんとか維持している状況で、これまで当たり前に行えていたことが難しくなっているのだろうなと思います。

 

終身雇用も崩壊しつつあって、大きな会社もいつ潰れたり、買収されたりしてリストラさせるかわからない。地方でも依存できそうな勤め先がなくなりつつあって、若い人たちと、その親の世代が生きてきた社会との違いが大きすぎて、分断化も急加速してるし孤立化してしまう個人や家族が、とてつもなく増加していっているのではないかと感じるようなことが多くあります。これまで正しいと信じていたこと、正しいと思っていたことが、思い込みでしかなかったこと、それも集団の。自分は自分の知ってることしか知らないわけで、自分の周りにいる人たちも似たような環境で育ったら、当たり前と感じることや、考えることなんかも、信じること、正しいと思うこと、良いと思うこと、美しいと思うこと、感動することなども似たようなものになってくるだろうし、それが常識とかマナーと言われるものになっていき、同調圧力のようなものを形成していくのではないかと感じてしまうことが、よくあります。
 

人にお金は借りたらだめだけど、銀行に何千万も何百万もお金借りて家を買ったり、車を買うことは<普通なこと>で、また消費することを「人の自由」や「人それぞれ」で済ませ処理したりするけど、その原料となるものやエネルギーって殆ど他国、それも途上国の自然環境をめちゃくちゃにして成立することであることがすっぽ抜けている。タバコが吸えなくなってきたり、方言がなくなってきたり、共働きが普通になってきたこと、バレンタインデーやハロウィンだったり、せいぜい自分たちの親かそのまた親世代から始まったこと、成人式や、冠婚葬祭などに、お金をたくさんかけること、いつの間にか、様々なことがどんどん<普通なこと>になっている。皆が不安になるようなことや、中毒性のあるようなこと、ありとあらゆる方法でお金を使わせようとする人たちに取り囲まれている。人間もそもそも動物だから保身に走る、種を残そうとする本能みたいなことが、下手におかしい方向に進んできた結果、今のような状況となっているとも思うのですが、こうした状況で自分たちが何をできるか、何を行ったらいいだろうと考えて、大切なことってなんだろう?と考えると、今の子どもや、これから生まれる子どもたち、そのまた子どもたちにとって、少しでもいい形で、バトンを引き継げるようにすることではないかと思っています。ここ数十年が拝金主義の最悪な時期で、もしかすると、これから逆にとてつもない速度で、社会がよくなっていく方向に振れる可能性もゼロではないのだからと考えるようになって、一気にやる気が出てきました。そんな感じで希望というか魅力を感じる活動を行なっている人や取り組みなどがあれば教えて欲しいです。すみません長くて(笑)。

M:そうなんです。畑はすぐに始めることが出来たのですが、田んぼは一枚あたりの面積が大体広いし、日に2回の水の監理や耕耘などを考えると機械、もしくは人手が必要で、なかなか踏み込めない領域でした。今は店のある湯梨浜町よりさらに奥深い三朝という町の田んぼを借りています。年に何度かは水路掃除を三朝の集落の人々とやっていますが、やはり田んぼというのは大規模な治水工事の歴史と人手の多さに担保された農耕文化だなと感じます。
 

去年の9月に子どもが生まれて、二ヶ月間育児休暇ということで店を休みました。その期間、僕は主に畑へ出て秋冬野菜の準備をせっせとやりつつ、ご飯をつくったりベイビーにミルクをあげたり、家の改装工事をしていました。妻の明菜はベイビーに付きっきりで育児を、そして明菜の母がヘルプに来てくれて、基本的な炊事とベイビーの世話をしてくれていました。この3者が何をしているのかというと「家事」です。家事とは現金収入に繋がる訳ではないけど生きていくのに必要不可欠な作業のことですが、それだけをやっていました。生きる為に食べものをつくり、家をあたたかく快適に改装し、食事をつくり、子を育てる。そこには何の矛盾も無駄もなく、充実した時間だけがありました。この生活がずっと続けばいいのにと願いましたが、現代に生まれた人間である僕は現金収入も得る必要があります。支払いを求められる税金や家賃があるからです。
 

コロナ禍で店を休みひたすら畑ばかりしていた時にも、今回の育休中にも思いましたが、資本主義経済というのは、「人を家事から引き離す」ことを強要するシステムのことなんだろうと思いました。逃れられない支払いを人に課し、家事から人を引き離し現金収入へと向かわせる。でも、結局労働で得た現金を何にあてるかというと「家事」なのではないか。用意された家の家賃を払い、用意された食材、調理されたご飯に支払いをあてる。余裕があればベビーシッターを雇うというようなことの支払いにあてる。「家事からの解放」というのは目指されるべき地点のように唱えられているのを見かけることがありますが、果たして本当に人はそれを望んでいるのか疑問です。僕は家を建てることも、食べものをつくることも、ミルクを与えることも好きです。というか、それだけやって生きていけたら良いのにと願っています。都市部に人を集中させるということは、土から人を引き離し食べものを得るチャンスを失わせることです。過密した人口は地価を高騰させ、住居を自ら建てるスペースを失わせることです。僕はそのようにとらえています。頼れるものが金しかないという状況を生み出すことが、「お金教」を布教させる為の根本にあるのだろうと思っています。
 

僕はそうした状況から脱したいと考えていますが、一人で森の中で暮らしたいと思わないし、かつてのヒッピーのようにコミューンをつくろうとも思いません。なんとなく世間で信仰されているこの「お金教」の内部に入り込み、共に変容していきたい。その願いを叶える手段としての本屋が汽水空港です。本屋という仕事は金を介在する商売ですが、本は思想を伝える危険物です。この、「商売」と「社会変容を促す性質」との狭間を汽水域として、穏やかに危険なことをしていこうと思っています。イメージとしては文化人類学の「参与観察」のように生きています。日本人として生まれながら、現代の日本人の一般的価値観とズレてしまっている自分を悲観するのではなく、日本人でありながら日本民族の中に入り込んだ謎の汽水民族として参与観察を行いながら、新たな文化を共に編んでいくようなことをしていきたいと思って生きています。
 

元ペシャワール会の従事者で、今は「ほのぼのハウス農場」という農場を営んでいるぐっさんという友人がいます。僕はぐっさんのことを思うといつも世の中にまだ希望はあると感じられます。彼はアフガニスタンでの活動を饒舌に語ったりすることはないのですが、ふとした時に発する言葉や行動で人に光を注ぐように生きています。出会いは10年以上前になります。当時僕はアジア学院という場所でボランティアスタッフをしていました。ぐっさんはそこのスタッフでした。ある日、将来に悩む若者がぐっさんに人生相談をしていました。そこでぐっさんは当然のことのように「なんでも好きなことして生きたらええやん。僕と知り合った時点で飢え死にはせんやろ。」と言い放ちました。僕はそのすぐそばで鍬を振りながら会話を聞いていただけなのですが、身体がぶるるっと震えるようでした。そして今もその言葉通り、ぐっさんは彼にも僕にも野菜や米を頼んでもないのに送ってくれます。僕はぐっさんの言葉を聞きながら「そうか、困ったらぐっさんを頼ろう」とは思いませんでした。むしろその逆で、自分も人にそう言える人間になろうと静かに思いました。この時の体験は今も僕に深く影響を与えています。以来、僕は「人を真に変えるのは、その人を変えようと意図されて放たれる意志や言葉ではなく、強烈な光なのだろう」と思うようになりました。僕はぐっさんが放った言葉を聞きながら、光にあてられたように内部からジワジワと変容したような気がしています。
 

今、例えばtwitterでは日々様々な言葉が行き交い、正しさの応酬が繰り返されています。過ちを犯した人間は晒し首にされて袋叩きにあっています。だけど、本当にそれで世の中マシになるのでしょうか。袋叩きにされた人は、正しい言葉によって正しい人生を歩むようになるのでしょうか。そのことに疑問を持つ時、僕はいつもぐっさんのことを思い出します。人を変えるのは正しい言葉ではなく、光を放つような言葉と行動だろうと。

D三:最近は(人に恵まれいることを実感できる人)が幸せなのだろうと思うようになりました。おそらく<ぐっさん>、<モリさん>、亡くなられましたが<中村哲さん>も。僕もですけどね(笑)今、生きている人たちは運良く命が繋がっていて、生きることができなかった、生まれることができなかった人も沢山いた。長崎だと原爆が落ちていなかったら、もっと沢山の友人がいたかもしれない。数年前「滅亡へのカウントダウン」という人口爆発について本や、「土の文明史」という本を読んだのですが、それまで環境や富の問題について、いろんな本を読んでいたのに、人口増加についてはほとんど触れられていないこと、倫理的な問題もあったり、意図的なのかもしれませんが、ここが大きな問題ではないのかと考えるようになりました。資本主義の成立する以前から、それまで多くの文明を滅亡させてきたのは人口と食料の問題が大きくあって、日本も江戸時代まで3000万から増えることができなかったのに、今は1億3千万もの人がいる。世界人口も1650年に約5億人だったのが1975年には40億、昨年は78億7500万人、そして2050年にはほぼ100億人になると予想されいるそうです。例えば、人間を鹿に例えると、天敵のいなくなった島にいる鹿が、どんどん増え、鹿の弱いグループから縄張りを奪ったり、生態系に影響を及ぼして、他の動植物が死に絶えていけば、鹿は絶滅するみたいな感じに近いのではないかと。少子化が進んでいることも、本能的なことなのかもなと。文通のおかげで事前に話してみたいなと思っていたこと随分を尋ねることができました。長々とどうもありがとうございました。
 

当日なのですが、テーマの方を「今、いるところでやりたいことを継続することについて」みたいな感じで、集う人たちで話せたらどうかと思うのですが、いかがでしょうか?

M:OKです。長崎も気になっていて、すみれ舎に行った際に色々な土地を見てみたいなと考えています。東彼杵町と小浜町が気になってます。すみれ舎に行った際に色々な土地を見てみたいなと考えています。

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モリテツヤ(汽水空港)

1986年生まれ。北九州、インドネシア、千葉を転々として育つ。2011年から鳥取での生活を始める。2015年に汽水空港をOPEN。店の運営の他、執筆や建築、田畑での仕事をしてどうにかこうにか生きている。店の近くで汽水空港ターミナル2(食える公園)と名付けた畑を運営し、実りを誰でも収穫していいと公言して活動中。